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NOVA (ロケット) : ミニ英和和英辞書
NOVA (ロケット)
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


NOVA (ロケット) : ウィキペディア日本語版
NOVA (ロケット)

Novaロケットには2系統があり、一方は元々NASAがサターンVと同様の目的のために設計を進めていた最初の重量物打ち上げロケットで、もう一方は後に火星有人探査を目的とするためサターンVよりも更に大型化した。この2系統の設計は本質的に別物であるが、Novaは多くの場合、ロケットの仕様を意味するのではなくサターンVよりも大型のロケットを意味する。より紛らわしいことに最終的なサターンVの設計は初期のいくつかのNovaの設計案よりも大きい。Novaのイラストでは "Nova C8" が良く使われる。同様に歴史的な記録が明確ではない事によってNova C8の概念は検討された"サターン C-8";に近いとされる。それはエンジンと1段目の安定翼の配置が異なる。
==月ロケット==
最初のNovaの系列はNASA内で1959年に設計された。この計画は複数の設計案が出され、最小の案では4機のF-1エンジンが1段目に搭載され、上段にはJ-2エンジンを搭載した。設計では24トンを月の軌道へ投入する能力を有した。これらの設計案は1959年1月27日にアイゼンハワー大統領へ提出された。
Novaの設計案は当時月だけのためではなかった。空軍のルネックス計画でも下段に固体燃料ロケットエンジン、上段に液体水素燃料のJ-2またはM-1を搭載した案が出された。陸軍のレッドストーン工廠のフォンブラウンが開発中だった"ジュノーV"の設計は1段目にジュピターミサイルとレッドストーンミサイルのエンジンとタンクを束ねて上段にタイタンミサイルを使用するものだった。
1959年に陸軍は大型ロケットのこれ以上の開発は行なわない事を決定した。これによりフォンブラウンのチームはNASAへ移った。NASAでは2機種の大型ロケットの設計が持ちこまれ、一つは独自に開発していたNovaで、もう一方がフォンブラウン達が持ち込んだジュノーから改名されたサターンだった。2年以上、NASAと空軍は調査を継続していたがケネディー大統領により10年以内に月へ有人着陸する為にNASAの計画が採用され、ルネックス計画は終了した。
NASAが当初予定していたNovaは月へ宇宙船全体が着陸して"直接上昇"するミッション形態だったので単一の大型の宇宙船を軌道に投入する必要があった。フォンブラウンは地球軌道へ打ち上げる重量を減らす必要があった。ミッションを開始する為に必要な宇宙船の開発により当初想定していたよりも大幅に重くなることが判明したのでNovaの設計は小さすぎサターンの原型の設計では最大15回の打ち上げにより軌道上で部品を組み合わせて燃料を入れる案だった。
Novaではまだ直接上昇案を目標としており大規模な打ち上げ能力を要していた。最も強力で結果的に"標準型"の設計案の8Lでは8基のF-1エンジンを下段に備えることにより68トンを月遷移軌道へ投入する能力を有した。この系列の他の設計案ではF-1エンジンを大型の固体燃料ロケットに換装したり上段に原子力ロケットを使用することにより48トンから75トンのペイロードを月軌道へ投入するものだった。
複数の増強されたサターンも同様に検討されが。フォンブラウンによる元のサターンの設計はA-1型になり、A-2はタイタンミサイルをジュピターに置き換えられた。もっとも強力なB-1型は複数の束ねたタイタンを2段目に使用したがその他はA-1と似た。より"過激な"提案は新しいエンジンが必要とされる"Cシリーズ"の中にまとめられた。C-1はA-1と似ていたがタイタンのエンジンの派生型を備えた新しい上段を採用した。類似のC-2はJ-2エンジンを搭載した。C-3からC-5は同じJ-2を使用したが新しい1段目が加えられ3、4、5基のF-1エンジンを使用した。フォンブラウンは当時C-3を2基使用する地球軌道ランデブーの案を支持した。1961年までに多くの案が議論されたが結果は両チームが予期しないものだった。
直接上昇や地球軌道ランデブーに対して作業部会は第3の月軌道ランデブー(LOR)を採択した。LORではサターンC-3とNOVA8Lの約中間の重量の打ち上げ能力が必要とされた。低軌道へ約200,000 lbの打ち上げ能力を持つ新しいロケットの開発ではサターンC-5が適任だった。C-2型は同様に試験システムとして製造されC-5の準備が整うまでに打ち上げ試験用として計画された。
NOVAよりもサターンが選ばれた要因はサターンC-5は後にMichoud組み立て施設として知られるニューオーリンズ郊外の既存の設備で生産出来る事だった。NOVAロケットでは直径が大きい為に新しい製造設備を建設する必要があった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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